39 旧八谷橋

火山災害の脅威伝える

39_1.JPG

11月中旬にあった桜島・錦江湾ジオパークの認定記念シンポジウムで、新潟県の糸魚川ジオパークのことが話題に上がった。
うどんのだし、灯油用ポリタンクの色、電源周波数など、同地域は日本の東西文化の境界なのだという。
親不知という日本海にせり出した断崖絶壁が、東西の交通を阻んでいたためだ。
人間の生活や文化は、意識せずともその土地の自然環境に大きく影響されているということなのだろう。

今回紹介する旧八谷橋は、お世辞にもメジャーとはいえないスポットだ。
桜島港から約7km、湯之平展望所へ上る途中、少し脇道にそれた場所にある。
長さ8m、幅6mほどのとても小さな橋で、向こう側は行き止まり。
ただの廃道にしか見えないだろう。

この橋には二か所おかしなところがある。
ひとつは、ガードレール下の縁(へり)が大きく破損していること。
コンクリートがはがれ、鉄筋がむき出しになっている。
いまひとつは、橋全体が丸ごと滑ったように、40cmほど下流側にずれていることだ。
なぜなのだろうか。

この橋の下にある八谷川には、大雨の際に土石流が流れ下る。
1992(平成4)年、大規模な土石流がこの川を流れた際に、橋の縁を破壊。
さらに、強力な土石流の勢いは、橋さえも下流へ押し出してしまったのだ。

ただの廃道も、このようなエピソードを知れば立派な災害遺産となる。
やはり桜島という土地にあるものは、特有の火山環境に何かしらの影響を受けているのだ。

さて、もう一点お伝えしたいことがある。
破損した旧八谷橋は、1998(平成10)年に新たな橋が架けられるまで、ずれたままの状態で使われていたそうだ。
満身創痍にも関わらず、道路としての役割を果たしていたのである。
なんという働き者だろうか。
旧橋にはゆっくりと休んでもらい、私たちに桜島の自然の脅威を伝え続けてもらいたい。

NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2013年12月10日
「桜島ルーキー日記(旧八谷橋)」 ※筆者本人により一部加筆修正

このページの先頭へ戻る