04 溶岩原

重ねた年月で異なる景色

04_1.jpg 04_2.jpg

噴煙を上げる山と溶岩原。この二つが火山桜島の象徴だろう。
桜島へ来る前のボクは、溶岩といえば「噴火でできたゴツゴツした黒っぽい岩」という程度の知識しか持っていなかった。
間違いではないと思うが、島内各地にある溶岩原をこんな簡単な言葉でくくるのはもったいない。

溶岩なぎさ遊歩道は、1914年に流れた大正溶岩の上を散策できるスポットだ。
歩けばすぐにイメージどおりの黒い溶岩が迎えてくれる。
一方で、意外と緑が多いことにも気づく。
コケがひっそりと生育し、草がたくましく根を張る。
クロマツが特に目立ち、林をつくっている。
噴火から約100年。溶岩上の主役はクロマツだ。

一方、黒神町宇土あたりには1471年の文明溶岩が分布する。
ほとんどの人は気づかずに通り過ぎてしまうだろう。
青々と茂った草木と道沿いの民家に隠されて、溶岩はほとんど見えないからだ。
過去の溶岩流が示された地図を見て、この場所も溶岩の上なのかと驚いた。
噴火から約500年。溶岩上の主役は豊かな森と人間だ。

始めは何もない溶岩の上にも、やがて緑が回復する。
コケや草などが少しずつ土をつくり、その上にクロマツのような日なたを好む樹木が成長する。
その後、背が伸びた木々の木かげに、シイやタブなど日かげを好む樹木が育つ。
こうして、200年以上をかけ豊かな森に戻っていくのだという。

桜島は幾度となく溶岩を流した。
天平宝字(764年)、文明(1471年)、安永(1779年)、大正(1914年)、昭和(1946年)と、わかっているだけでも5つの時代の溶岩が分布し、重ねた年月に応じた異なる景色が広がっている。
島内を一周するだけでこのような違いを見られるなんて、さすが活発な活火山。

数十年後、溶岩なぎさ遊歩道の主役は誰だろう?
今見えるこの景色をしっかりと記憶にとどめ、その変化を楽しみたい。

NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2012年7月17日「桜島ルーキー日記(溶岩原)」 ※筆者本人により一部加筆修正

このページの先頭へ戻る