21 島廻り

舞踊に風情残す船競争

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ここ数ヶ月、桜島を様々な手段で一周した。
以前紹介した自転車、ランニング、自動車。
そして先日、桜島ナイトウォークを歩き、一通りの方法でまわったぞと自己満足に浸っているところだ。

桜島が島だった頃には、島の一周を競う行事があった。
「島廻(まわ)り」と呼ばれる、集落対抗の船こぎ競争だ。
競争船には40名ほどの男性が乗り込み、スタートの合図とともに力いっぱい櫓をこぎ進む。
美しく着飾った女性も同乗し、唄と踊りで盛り上げた。
古里や有村の温泉客を乗せた観客船が出たり、「うた舟」と呼ばれる応援船が出たり、陸上にも観客があふれていたりと、島を挙げた一大行事だったという。

しかし、大正噴火で大隅半島と地続きになったことをきっかけに、この行事はなくなってしまった。
溶岩は、数々の集落や海とともに、島廻りをも飲み込んでしまったのだ。

現在、女性の踊りがその文化を伝えている。
桜島小池町にあるのが「小池島廻り踊り」だ。
鮮やかな青の衣装に身を包み、扇子を右手に持つ。
穏やかな波のように、流れるような踊りである。
東桜島町には、「桜島・島廻り節」が残る。
濃紺の衣装をまとい、扇子を両手に持つ。
息の揃った動作のひとつひとつが力強い。
どちらも、競争がなくなるとともに一度は忘れられてしまった。
後に、住民の力で唄や振り付けが掘り起こされ、鹿児島市の無形民俗文化財に登録されている。

錦江湾を駆ける幾十もの船。見守る観客と島廻りの踊り。
今の景色に慣れたボクには、容易に想像できるものではない。
そこで、昔の新聞を調べてみた。
1908年9月22日、鹿児島新聞(南日本新聞の前身)の1面記事はこの話題だ。
行事は「櫻島のオリームピヤ」と称され、手に汗握る競争の様子が生き生きと伝わってきた
私たちは、先人たちが重ねた歴史の上に確かに暮らしているようだ。

NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2013年3月5日「桜島ルーキー日記(島廻り)」 ※筆者本人により一部加筆修正

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