知りたい(桜島について)

01 黒神ビュースポット(昭和溶岩地帯展望台)

2015/06/03

昭和火口の迫力に驚き

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神奈川から桜島へ来て数年が経った。生活には慣れてきたが、毎日が驚きの連続であった。
島内あちこちへ行くたびに、桜島の魅力と奥深さをいつも感じる。
本連載では、ヨソモノの目を通して、一緒に桜島を再発見していただければと思う。
お付き合いよろしくお願いします。

本日紹介するのは、ボクがもっとも好きな場所のひとつだ。
注意しなければ通り過ぎてしまいそうなくらい控えめな展望台は、昭和火口を望む一番のスポットだろう。

ここからの爆発は見飽きることがない。
火口から噴煙が上がると同時に、噴石が勢いよく飛び出す。
地面に落ちた噴石は、積もっていた火山灰をまきあげながら火口周辺を白く染める。
噴煙はどんどん高度を上げる。
数秒遅れて爆発音が届く。体の芯を揺さぶる音だ。
圧倒的な自然の力を前に、湧き出す高揚感と恐怖心。上昇する心拍数。

...と、ベタではあるが、県外出身者はやはり噴火に驚かずにはいられない。
噴火を繰り返す桜島の日常は、ここにしかない風景だ。(2015年の爆発的噴火は、5/31時点で600回を超えた。たぶんご飯を食べた回数より多い。なんという日常っぷり)。

あたりは1946年の昭和噴火で流出した昭和溶岩原で、「地獄河原」とも呼ばれている。
展望台の下は退避壕、砂防施設である黒神川は歩いてすぐ。
火山・桜島の魅力がぎゅーっと詰まった、実はぜいたくな展望台だ。

NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2012年6月5日「桜島ルーキー日記(昭和溶岩地帯展望台)」 ※筆者本人により一部加筆修正

02 御嶽登山口

2015/06/17

山頂目指した歴史伝える

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ご存知の方も多いかもしれないが、桜島登山はできない。
理由は簡単。噴火して危険だから。
南岳・昭和の両火口より2キロは立ち入り禁止区域となっており、桜島の頂上・北岳(御岳)の1117メートルもその範囲内だ。
登山不可を知ったときには少しがっかりしたが、こんなにも噴火を繰り返す姿を見せつけられたら納得せざるをえない。
だって明らかに危険だ。

とはいえ、桜島登山ができた時期もあったという。
明治期の地図には、今はなき登山道がたくさん描かれており、山頂へと通じている。
また、「小学校の遠足で桜島に登った」とか、「昔はここに道があって...」などとお話してくださる年配の方もたくさんいる。
読まれている方の中にも桜島登山経験者がいることだろう。
1955年、それまで平穏だった桜島南岳が突然爆発。
登山者に死傷者が出たことから入山規制が始まった。

桜島武町には、「御嶽登山口」の文字が深く刻まれた石碑がある。
丁字路の角、ミラーの下にひっそりとたたずむ石碑は、桜島登山を今に伝える貴重な遺産だ。
この場所からはすぐに上り坂が始まる。
集落を越え、農地を越え、と進むと、途中で道がわからなくなるが、昔は山頂まで通じていたのだろう。
規制以前は、ここからたくさんの人々が山頂を目指した。
昭和のはじめごろ、このあたりに桜島と鹿児島とを結ぶ村営船の港があった時期もあり、休日は大にぎわいだったそう。

今は見ることのできない山頂からの景色は、どんなに美しいのだろう。
火山の歴史が刻まれた山肌を踏みしめ、頂上を目指して汗を流す。
山頂に着くと、荒涼とした北岳の火口跡が迎えてくれる。
穏やかな錦江湾と、周りを囲むように広がる町の姿は飛行機から見下ろすかのよう。雲も近い。
この石碑を見ながら、ついそんな想像をしてしまう。

NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2012年6月19日「桜島ルーキー日記(御嶽登山口)」 ※筆者本人により一部加筆修正

04 溶岩原

2015/06/17

重ねた年月で異なる景色

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噴煙を上げる山と溶岩原。この二つが火山桜島の象徴だろう。
桜島へ来る前のボクは、溶岩といえば「噴火でできたゴツゴツした黒っぽい岩」という程度の知識しか持っていなかった。
間違いではないと思うが、島内各地にある溶岩原をこんな簡単な言葉でくくるのはもったいない。

溶岩なぎさ遊歩道は、1914年に流れた大正溶岩の上を散策できるスポットだ。
歩けばすぐにイメージどおりの黒い溶岩が迎えてくれる。
一方で、意外と緑が多いことにも気づく。
コケがひっそりと生育し、草がたくましく根を張る。
クロマツが特に目立ち、林をつくっている。
噴火から約100年。溶岩上の主役はクロマツだ。

一方、黒神町宇土あたりには1471年の文明溶岩が分布する。
ほとんどの人は気づかずに通り過ぎてしまうだろう。
青々と茂った草木と道沿いの民家に隠されて、溶岩はほとんど見えないからだ。
過去の溶岩流が示された地図を見て、この場所も溶岩の上なのかと驚いた。
噴火から約500年。溶岩上の主役は豊かな森と人間だ。

始めは何もない溶岩の上にも、やがて緑が回復する。
コケや草などが少しずつ土をつくり、その上にクロマツのような日なたを好む樹木が成長する。
その後、背が伸びた木々の木かげに、シイやタブなど日かげを好む樹木が育つ。
こうして、200年以上をかけ豊かな森に戻っていくのだという。

桜島は幾度となく溶岩を流した。
天平宝字(764年)、文明(1471年)、安永(1779年)、大正(1914年)、昭和(1946年)と、わかっているだけでも5つの時代の溶岩が分布し、重ねた年月に応じた異なる景色が広がっている。
島内を一周するだけでこのような違いを見られるなんて、さすが活発な活火山。

数十年後、溶岩なぎさ遊歩道の主役は誰だろう?
今見えるこの景色をしっかりと記憶にとどめ、その変化を楽しみたい。

NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2012年7月17日「桜島ルーキー日記(溶岩原)」 ※筆者本人により一部加筆修正

05 藤野アコウ群

2015/06/17

未知の植物との遭遇

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植物はその土地を特徴づける重要な要素だと思う。
常緑樹の多い鹿児島の森は、年中青々として見える。
冬になると多くの木々の葉が落ち色を失う関東の森とは対照的だ。

アコウは桜島の代表的な植物のひとつだ
国内では主に四国、九州、沖縄に分布し、本州ではほとんど見られないという。
鹿児島ではおなじみの樹木かもしれないが、ボクにとっては未知との遭遇であった。

藤野アコウ群は、桜島の北西部に位置する。
高さ10メートル級のアコウの木々が、約200メートルにわたり県道に覆いかぶさるように並んでいる。
まさに「緑のトンネル」のよう。日かげの気持ち良いスポットだ。

近くで見ると迫力が違う。
幹が幾重にも複雑に絡みあい、空を目指して伸びている。
人の背丈ほどの石垣は、アコウにがっしりと抱き込まれている。
「白波」の看板も石垣と同じく木に覆われ、もはや脱出は難しそうだ。
アコウ群の途中にある浜平バス停は、いつか埋もれてしまわないかとちょっと心配になってしまう。
ところどころ空中に根を出す姿はガジュマルに似て、南国を思わせる。

幹から空気中にたれる根を気根という。
気根は地面に向かって下へ成長する。
種子がほかの木の上で発芽すると、やがて気根が親木を覆い、枯らせてしまうこともある。
そのため、アコウは「絞め殺し植物」とも呼ばれるそうだ。
物騒な呼び名だが、生きるためのアイデアの結晶。
ここの石垣や看板は、親木の代わりに絞められている。

旧桜島町の町木であったアコウは島内各地で見られる。
桜島支所には大木がそびえ、東桜島町の海沿いのものは樹高20メートルもある。
なかには、海際の岸壁に必死にしがみつく根性のあるものも。

青々とした森やアコウといった異郷の景色にも、前ほどの違和感を覚えなくなってきた。
この土地での生活に、着々と身体がなじんできた証拠だろう。

NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2012年7月17日「桜島ルーキー日記(藤野アコウ群)」 ※筆者本人により一部加筆修正

06 塩屋ヶ元港

2015/06/17

入江つくる溶岩に注目

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桜島の至る所に、「避難港」と呼ばれる港がある。
緊急時の島外避難のために設置されており、「退避舎」という頑丈な建物も併設されている。
桜島港フェリーターミナルや新島を含め22の避難港があり、赤水港から順に反時計回りに反時計回りに番号が付けられている。
現地には目立つところに番号が記されているので、ぜひ訪ねて見つけてほしい。
「お気に入りの避難港探し」もオススメだ。
こんな楽しみ方をする観光客はまずいないが、各港からの景色はそれぞれ異なり飽きない。

8番の避難港である塩屋ヶ元港は、ボクのお気に入りの港だ。
集落を越え、坂を下ると、入江と海が目に飛び込んでくる。
ここの海は鮮やかなブルー・・・ではなく、エメラルドグリーン。
海底より湧く温泉の成分が、海を緑色に染めるのだという。
注意深く目をこらすと、岸沿いの海底から気泡があがっているのが分かる。
シーカヤックなどで探検すれば、よりはっきりと温泉の湧くところを確認できる。

港の奥まで行くと、風情ある建造物が現れる。
これは温泉施設の跡だ。
現在は営業していないが、以前は入浴や宿泊ができたという。
火山は、この場所でも人々の生活を潤していたようだ。

入り江を作り出す溶岩にも注目したい。
入り江の出口に向かって右側は、764年の天平宝字溶岩。
樹木に覆われ、もはや溶岩であることはわかりづらい。
一方、左側は1946年の昭和溶岩。
ゴツゴツとした岩肌とクロマツが目立つ。
ここへ来れば、時代の違う溶岩上の景色を一瞬で見比べることができるのだ。

いつか、ここへハンモックを持ってきて、力の限りだらだらとした休日を過ごしたいと思っている。
右手にビール、左手に本。携帯電話は持ってこない。
時間を気にせず潮風に身を任せる一日。
完璧な休日のお手本のようではないか。
まずはハンモックと休日を探さなくては・・・。

NPO法人桜島ミュージアム 大村瑛
『南日本新聞』 2012年8月7日「桜島ルーキー日記(塩屋ヶ元港)」 ※筆者本人により一部加筆修正

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